2024年合格体験記 保護者様⑤

私立なのか公立なのか。
受験が終わり、
中学校生活が始まった
今でもどちらがよいのか
わかりません。

小学校3年生から始まった
4年間の受験に取り組む日々は
「宿題終わったの?」
「やりたくないなら辞めなさい!」
「誰の受験なの?」といった
言葉で毎日が埋め尽くされていた
ように感じます。

たくさん遊びたい時期に
受験勉強をさせることが
正しいのか葛藤した日々を
思い出しながら体験記を
書いてみようと思います。

我が家は一貫校出身の母親と
公立中学校出身で
高校からアメリカで
教育を受けた私(父親)で
教育に対する考え方が全く違います。

母親はすごくベーシックで、
できるだけ良い教育を受け
我が子の将来の可能性を
広げてあげたい
といった考え方の
持ち主で一貫校推奨派。

私は今の時代
学校って必要なの?
なんて考えてしまう極端な人間で
私立・公立どちらでもよい派
むしろ学校いるの?派です。

そんな極端に考え方が違う親に挟まれ、
我が子の受験生活が
小学校3年から始まりました。

受験のきっかけは
母親の影響が大きいと思いますが、
本人の動機としては
1年生から続けている硬式テニスを
中学校でも続けたい
という気持ちがあり
私立の中学校に進学したいと
言い始めたのがきっかけでした。

最初は自宅からひと駅の
大手集団塾に通っていましたが、
コロナ禍で電車で通塾することが
難しくなったのをきっかけに
自宅から徒歩で通える
別の大手集団塾に
転塾することにしました。
そこには同じマンションの同級生や
小学校の友達がたくさんいたので
それなりに楽しく
通っていたように思います。

その頃の成績もそれなりで
CとBを行ったり来たりでしたが
頑張れば難関校に
入れるんじゃないか
なんて期待できるくらいの
成績だったと思います。

3年生から4年生の後半までは
共働きの母親が
勉強に付き合える程度の
勉強量でしたので
ここまではすごく順調でした。

5年生になると求められる勉強量や、
宿題の量が劇的に増えてきました。

それまでは母親が付き合える
程度の量でしたが、
働きながら勉強に付き合うことが
難しいほど量が増えてきたと同時に、
少しずつ自分で考えて
勉強させたいという
私達親の勝手な思いから、
勉強に付き合う時間を
少なくしていったのをきっかけに
集中する時間が減り、
ダラダラする時間が増え、
毎日のように
「宿題は終わったの?」
と小言を言われるように
なっていきました。
それでも本人はギリギリでしたが
毎日最低限やらなければいけないことは
必死に終わらせていました。

5年生の後半に差しかかり
塾の面談で6年生からは更に
家庭での取り組み(サポート)
が重要になると言われ、
共働きである私達は
その時以上の時間捻出が難しいと感じ、
転塾を検討するようになりました。

私達が我が子の勉強に付き合えない分を
サポートしてくれるような塾を探し、
いろいろな塾を体験したなかで
塾でほとんどの勉強を
みていただける体制だという
ひよし塾の入塾テストを受け、
6年生からひよし塾に
お世話になれることになりました。

今思えば最後の一枠が空いていて
本当に良かったと思っています。

ここから6年生としての
ひよし塾での1年間が始まりました。
毎日お弁当を持ち、
電車に乗って塾に通うことが
ルーティーンとなり
生活のリズムも良くなっていた
ように思います。
夜21時に迎えに行き
「今日はどうだった?」
ときくと必ず
「楽しかった!」
と言うので
このときは転塾して良かったなぁ
なんて軽く考えていました。
学校から帰り、
それ以降の時間を毎日
塾で過ごしていたので今までのように
「宿題やったの?」
とか
「やることやりなさい!」
など小言を言うことも減り
家族3人精神的にも穏やかな時間を
過ごしていました。

ところが現実はそんなに
甘くありませんでした。
春になり組分けテストや
合不合テストなどで
目標としている点数が
とれないことが続いたのを
きっかけに授業で使っている
ノートなどをチェックしてみると
何も書いていない。。。

なんでノートに
何も書いていないのかと
聞くとノートに書くことがない
と言い始めた我が子。
書くことないなんて
あるわけないでしょうと言う私達。

じゃあ先生はどうやって
生徒に説明しているの?
と問いただす毎日。

穏やかな日々が焦りとなり日々
我が子に厳しく接するように
なっていました。
毎日のようにノートをチェックし、
わからないところを
きちんと質問したのか
聞く日々。
管理生活の始まりです。

このときはまだ夏休み前
ということもあり、
私達の管理レベルも緩く
焦りはあるものの
そこまでの危機感はありませんでした。
そして勝負の夏休みを迎えます。
いろいろな受験関連の書籍を読み、
6年生の夏休みからが受験の本番だと
刷り込まれている私は毎日のように
我が子に
「受験を成功させたいなら夏休みが大事だよ!」
と言い聞かせていました。
本人も
「わかってるよパパ」
「ちゃんとやってるよ」と。。。
そんなこんなで夏期講習が終わり、
遊びたいのによくやりきったねと
夫婦で話していた矢先、
夏休みが終わった頃の
合不合テストで
今までで一番悪い成績を
取ってきました我が子選手。

この時点でこの成績で
大丈夫なのかと
本気で焦り始めた私達。

数ある本には
「夏休みはみんな頑張っているから
偏差値が上がりにくい」
と書いてあるから
大丈夫なんて気持ちをごまかしながら
我が子と向き合っていましたが
不安は拭えず
人生で初めて塾の面談に行き
不安な状況を玉田先生と小野内先生に
相談させていただきました。

これからの取り組み方など
具体的なアドバイスや
塾での授業態度などを聞き
塾でも厳しく指導してもらうように
お願いしました。
そこから過剰に褒めてみたり、
厳しくしてみたり、
寄り添ったり、
ちょっと距離を置いたり
試行錯誤しながら
勉強に取り組みましたが
テストの成績は
低空飛行が続きました。

「点数や偏差値で一喜一憂しない」
と色々なところで言われていますが、
実際そんな悠長なこと
言ってられません。

私達は毎日順調に焦りを
積み重ねていきました。

結局最後の合不合テストまで
志望校の合格判定はでず、
そのころには私は勝手に
現実的な受験校選びを
考えてしまっていました。

成功体験をさせるのか、
失敗体験をさせるのか。
この頃の私はなにが良いのかも
わからなくなっていたように感じます。
幸い我が子は
「この学校しか行きたくない!」
タイプではなく、
「テニス部があればいいよ」
タイプだったので学校選びは
偏差値などではなく
学校がもつ世界観や雰囲気
重視で選ぶことができました。

大枠で受験する候補を
数校ピップアップし
いよいよ過去問に
取り組み始める時期になりました。

玉田先生のご指導により、
併願校で合格点を
出せるようになってから
第一志望校に取り組む
という順番で始めましたが、
取り組み始めた当初は
併願校すら合格点が
取れませんでした。

いくつかの学校の過去問を一通り解き、
問題の相性等で更に受験する学校を絞り
最終的に3校を重点的に取り組みました。

年末頃には安全校の点数が
安定してきたことで
玉田先生から第一志望校の過去問に
取り組んでも良いと
伝えられそこから
第一志望校の過去問に
挑戦していきました。

第一志望校の過去問も
そこまで相性が悪くなく、
合格点まであと数十点
(数問)くらいの
点数は出せるように
なっていきました。

緑の過去問冊子の
玉田先生からのコメントも
最初の頃は
「もっと真剣に取り組もう」
「このままでは志望校受からないよ」
など厳しいコメントが多くありましたが
最後のほうには
「もう少しで合格点」

「このまま集中して頑張ろう!」
に変化していきそういったコメント
ひとつひとつに一喜一憂するのが
恒例になっていきました。

ただ第一志望校の過去問は
結局最後まで
合格点がでませんでした。
終盤では第一志望校の過去問で
合格点がでず、
我が子自身も徐々に自信をなくし、
勉強疲れもあって
モチベーションを保つのが
厳しくなっていました。

そんな状況に私達親は焦り、
色々やらなくていいことを
やってしまったかもしれません。
自信を取り戻させるために
合格点が取れていた
第二、第三志望校の過去問を
やってみたらと
進めたら合格点に届かず
更に焦ったり、
悪循環だったと思います。

受験本番3日前には
その悪循環もピークを迎え、
玉田先生にメンタルケアを
していただきつつ
相談を聞いていただきました。
そして本番を迎えることになります。

私達は1日に安全校を2校受験し
確実にどちらかに合格し
2日からの本命を気持ち的な余裕を
持って挑むという戦略で臨みました。

2月1日
午前:第三志望校
午後:第二志望校

午前の第三志望校が終わり
死にそうな顔で戻ってきました。
本人的には全然だめだったということで
午後に気持ちを切り替えて頑張ろうと
午後の試験に向かいました。

午後の試験が終わり
自信満々で帰ってきたので
良かったねなんて言いながら
帰宅し発表を待ちました。
午前校の感触が悪かったため、
午後校の発表時間に合わせて見ようと
午後校の発表まで
リラックスして過ごしました。

午前校の受験者数などを
確認するためネットを開いた際、
間違って合格発表を開いてしまい
意図せず合格発表を
見てしまいました。
結果は合格でした。

良いニュースなので
息子にそれを伝え家族三人
無駄に喜んでしまい、
思えば我が家の受験は
この瞬間に終わって
しまったんだと思います。。。
午後校は不合格でした。

2月2日
午前:第一志望校
午後:第二志望校

本命の受験日です。
私達親の予定通り
合格を確保しての
第一志望校挑戦でしたが
我が子は朝から
なぜかふわふわしています。
「今日が本番だよ」
「今日のために頑張ってきたんだよ!」
など
集中するように
言い聞かせましたが
ふわふわしたまま受験に向かい、
ふわふわしたまま帰ってきました。
本人的には感触は良いと。

そしてそのまま
午後の試験に向かいます。
昨日と同じ学校です。
集中して取り組もうと
改めて言い聞かせテストに
向かいました。
戻ってきたときは
昨日と同じで自信満々でした。
これはデジャヴ?
この感じは完全に怪しい。。。
そんな雰囲気を
感じながら帰宅しました。
結果両校とも不合格。

この時点で何か怪しさを
感じ我が子に練習通り
きちんとやっているのか
聞いてみます。
本人はきちんとやっていると。。。

そこで問題用紙を開いて
必要な情報を書き出したり
途中式をチェックしたりすると
何も書いていない
きれいな問題用紙。。。

それをみて愕然とする私達。
なにやってんの?
と聞くと一言「浮かれた」と。。。
すでに1校合格いただいたから
辞めてもいいと伝えると
「大学付属に行きたくなってきた」
とか言い出しちゃう我が子。

2月3日
午後:予定になかった大学付属校

この日に予定していた受験校は
大学付属ではなかったため
急遽受けられそうな付属校にエントリー。
過去問も解いてないし
ダメ元だから思い切って散ってきな!
と送り出し
結果不合格。
当たり前です。
ただ本人は出し切って
スッキリした様子。
この日から少し顔つきが変わり、
取り組み方が真剣になっていました。

2月4日
午前:第一志望校

この日は本命校の
最後の試験ということもあり
最後の力を全部出すような気持ちで
やってきなさいと送り出しました。
本人も練習してきた内容を
すべて出せたようで
やりきった顔つきで
戻ってきました。
結果はどうあれ悔いなく
やり切ることが大切だと
思っていたので
結果良かったと思います。
しかし結果は不合格でした。
本人は出し切れて感触も
良かったようで
少し落ち込んでいましたが
納得した様子だったので
ある意味良かったです。

2月5日
午前:第二志望校

前日で全て出しきった様子だったので、
辞めてもいいよと伝えたのですが
本人の希望で最後のトライ。
当日は玉田先生と有久先生に
応援していただき試験に向かいました。
本人は相変わらず自信満々にできたと
言っていましたがもう騙されません。
できた=本当にできた
ではないことを知っています。
ただこの1年間を本当によく頑張ったので
帰りの車で今まで我慢していた
Youtubeを解禁し
そこからは永遠にYoutube。。。
結果は不合格でした。
ここで我が家の受験は終了しました。

受験については
いろいろな考え方があると思います。
我が家も母親と父親で
全く考え方が違いました。

集団塾が良いのか、
それとも個人塾が良いのか。

私達は息子の最後の塾が
ひよし塾で良かったと
本当に感じています。

集団塾では一人ひとりの性格や
勉強進度に合わせて
ここまでケアしていただくことは
難しいと思いますし
我が子にはそのケアが一番
重要だったと思っています。
本人も3年生から
ひよし塾に行きたかったと
言っていました。

玉田先生はじめ、
我が子の受験に
関わっていただいた
先生方全員に
感謝しております。
ありがとうございます。

さいごに
偏差値やテストの点数
などに振り回され、
受験前は色々と悩み
焦りや危機感ばかり
感じていましたが、
中学校生活が始まり、
我が子が楽しそうに
学校に通う姿を見ていると
こうやってご縁をいただけた学校に
通えることが幸せなんだ
と感じています。

我が子の人生の一部に
関わっていただき
ありがとうございました。

【玉田より】

ご通塾くださり
ありがとうございました。
また楽しく進学先に
通われているとのこと
嬉しく思います。

毎年のことになりますが
中学受験勉強の
カリキュラムの進みがどんどん
速くなっています。

大手教材テキスト
改訂3ヵ年計画元年にあたる
お子様の学年は5年生後半から
一気に難しくなる
教科がありそれを
完全に理解するには
数週間かかるところも
1週間で理解しなければならない
単元がありました。

6年生になり
相変わらずカリキュラムの
ペースは非常に早く
大変だったと思います。

お子様は新しい環境に
慣れるのが早く
転塾して数週間も立たずに
周囲となじみ
授業中は楽しく授業を受けていた
印象があります。

勉強に対する姿勢は
中高一貫の6年間で
様々な体験・経験を通じて
そしてそこで
出会う仲間たちとの
時間の中で培われ
よりよくなっていくと思います。
中学受験時で長時間机に向かって
勉強するという習慣は
今後も継続して
いただければ幸いです。

ご両親におきましては
ご家庭で様々なご意見が
あったと思います。
様々な意見がありましたが

お子様へのお声がけは
お子様にとって
一言もブレーキにならず
前向きに取り組むための
きっかけであり続けたと
第三者から見ていて
感じています。

ひとえにお声がけが
誰かと比べた
相対的な評価ではなく
本人の過程を見たうえで
出た結果に対しての
フォローアップという
一貫性があったからだと
思います。

進学先の学校では
勉強に部活に、
様々な学校行事に
全力で取り組んで
いただければ幸いです。

誰とでもすぐに
打ち解けることが
できるお子様は
クラスで欠かせない存在に
なってくれること
期待しております。

1年間ご通塾いただき
ありがとうございました。
今後のお子様のご活躍を
お祈り申し上げます。

玉田