2019年合格体験記 保護者様⑥
息子がひよし塾に行くことになったのは、
長男の受験が終わった後でした。
最初はあまり乗り気でなく、
「勉強したくない」
とずっと言っていたのを、
半ば強引に塾へ行ったのを
今でも覚えています。
最初は、どうしてもいやだと言って、
入塾をあきらめました。
しかし、その後、「やってみる。」
と言い出し、
塾へ通い始めましたが、
勉強は学校の勉強も
おぼつかないような状況で、
中学受験まで走れるのか、
疑問でした。
彼の文字は、
ミミズが這ったような文字で、
「こんな子は、受験なんて無理かもしれない。」
と思いながら、
ひよし塾へ託したのです。
毎回の面談では、
現在の状況を
教えていただいていましたが、
私自身フルタイムの共働きで
勉強はすべて塾へ
丸投げの状態でした。
ごくたまに
「一行題はどうなっているの。」
と声をかけるぐらいしか
行っていませんでした。
本人も、そんな私の状態を
見透かしていたのか、
なかなかエンジンが
かかりません。
ようやくエンジンがかかったのは、
秋風が木枯らしに
代わるころだったように思います。
毎日塾へ行くようになり、
遅くまで勉強をして
帰ってくるようになりました。
頑張っていると
実感できるようになったのは、
冬期講習あたりだったと思います。
受験本番の2月1日は、
夫が付き添いで
一緒に第一志望の学校へ
行きました。
この日の夜、
きっと合格して終わるのではないか
と思っていた私は、
かなり受験生親として、
甘かったと思います。
結果は、午前、午後とも不合格。
本人も泣いていましたが、
私はまだ、
「この涙は、今日で終わり。
明日は笑顔になるだろう。」
と楽観視していました。
2月2日も、午前・午後の受験でした。
午前の試験が終わった後、
息子がとても緊張して、
おびえていることに気づきました。
「このままでは、今日も落ちる。」
私は、そう思いながら、
少しでも緊張が和らぐよう、
「昼食は塾へ行ってたべよう。」
と提案しました。
塾で昼食を食べた後、
出発しましたが、
全く笑顔がなく、
「行ってらっしゃい」と送り出した後、
3日、4日の受験プランを
変更すべきかどうか、
悩んでいました。
2日校の不合格が確定した後、
玉田先生に
「3日、4日で受ける学校を変えたい。」
と申し出たときは、
我ながら、「ダメな親だな。」と思いました。
3日は、午後から急遽出願した学校へ
行くことにしました。
終わった後、
息子がはにかみながら、
「多分大丈夫。」
といったので、
ほっとしたのですが、結果は不合格。
泣きながら、
「受験なんてしなければよかった。」
と言っていたのが、胸に刺さりました。
4日は、予定していた学校があったのですが、
息子にどうしたいか尋ね、
予定していた学校ではなく、
とにかく合格がもらえそうな学校へ
行くことにしました。
結果、やっと合格。
5日の最終日、
再度第一志望の学校へ行きました。
もう、私も息子も
「合格できなくても一校行けるところがある」
という安心感と、
「合格でも不合格でも今日で終わり」
という気持ちで、
肩の力が抜けた状態だったのだと思います。
合格発表のサイトを夜、
恐る恐る開いて、
合格の文字があったときには、
職場にいたのですが、
思わずガッツポーズが出ていました。
息子が中学受験で苦しんだのは、
母の私の責任です。
しかし、「勉強やだ。受験なんて無理。」
と言っていた彼が、
最後まで走りきれたことは、
彼にとって大きな財産になったと思います。
これも、すべてひよし塾の
玉田先生、有久先生、石井先生のおかげです。
ありがとうございました。
これからは、自分の力で、
新しい世界を
切り開いていってほしいと思います。
【玉田より】
ご通塾いただき
ありがとうございました。
また、第一志望校合格
おめでとうございます。
大変な5日間になりましたが
大きく成長できた5日間でした。
入塾当初はコミュニケーションを
円滑にとることが
できなかったのですが
少しずつ環境に馴染み、
いろいろコミュニケーションを
とれるようになりました。
理系科目に関して
演習量が足りなかったため
最後まで模試の偏差値は
安心材料にはなりませんでしたが
秋から冬にかけて
よく頑張ってくれました。
5日の最後の試験が終わり
もうこれ以上中学受験の
勉強をしなくてもいいにも
かかわらず
塾に帰ってきて
解き直しを始めた姿は
これからの彼の財産になります。
そして、
最後の最後に
実力が発揮できたことを
嬉しく思います。
よく頑張ってくれました。
中学入学後も
お気軽にお越しください。
お待ちしております。
何よりも
これからの健康とご多幸を
心よりお祈り申し上げます。
本当におめでとうございます。
玉田