(2015年度以前) 合格体験記【本人】
【本文】
僕がFELIXに入塾したのは1年の2月からでした。
僕はそのころには慶應を目標にしていました。
最初は算数教室だけでしたが3年生になり、
そのまま本科の授業も受けることになりました。
3年の時は算数は算数教室で培ったことで
最初は満点を取ることもありました。
国語も何とかできていました。
しかし5年になり、遊ぶことを優先することが多くなり、
さぼり始めました。
勿論、公開テストの点数も下がり、
本当にやばいときは両親の先生と
僕の四者面談という事もありました。
けれどもなにも反省せずに僕は6年生になりました。
6年になって、先生から「遊ばずに塾に来い」と言われ、
遊ぶ回数も減っていきました。
それから勉強することが楽しくなっていきました。
最後の3日間は苦手だった科目をとことんやりました。
しかし、2月 1日に入試問題を見ると
過去問とはあまり似ていない問題が出て、
ものすごく焦りましたが
テストはいままでやってきたことを信じて
迷わず解いていきました。
そのあと、面接がありました。
玉田先生と練習したので大丈夫だと
思っていたのですが
面接はなんと予想していた質問が一つしか出なく、
やばいと思いました。
入試が終わったあと塾に寄りました。
そこで玉田先生に切り替えろと言われ、
2月2日、3日と受けました。
そして3日の入試が終わった後、
1日の結果発表を母と姉が見に行ってくれました。
なぜ僕が行かなかったかというと、
入試が終わった後、熱を出してしまったからです。
僕は結果を伝えられるまで
自分が受かったときのことしか考えませんでした。
落ちた時なんて考えませんでした。
そして 蓋を開けてみるとすべての学校に合格をもらいました。
やはり個人差はありますが
合格したポイントは
家族がプレッシャーを与えず
「勉強しろ」と強く言わなかったことや、
僕が先生方の指示を守るように心がけたことです。
なのでこれを読んでいる
全ての受験生に伝えます。
先生方のいうことをきき、
落ちた時のことなんて考えないようにしましょう。
そしてこの場を借りて謝辞を。
僕の受験のために何事もきつく言わず
プレッシャーをかけさせないようにしてくれた家族。
1年坊の時から面倒を見て頂き、
最後の最後までお世話をしてもらった先生方。
そして僕の受験に関わっていただいた方々に
本当に有り難うございました。
そしてこれからもよろしくお願いします。
【玉田より】
合格おめでとうございます。
本当によかったです。
そして合格体験記を書いてくれてありがとう。
明け方に送ってくるということは夜通しかけて
書いてくれたものだと思います。
2010年の2月に入塾してくれました。
あのころは本当にかわいい子でした。
まっすぐで純粋な目をして…。
2010年は僕が会社を設立した年です。
その前は一年社内独立で個人事業主と
なっていたので、経営面では2年目になります。
2011年に3年生になり
東日本大震災がありました。
横浜駅を経由して通塾してくれていたので、
この地震によって、近場の塾に
転塾してしまうかもしれない、
そうなったとしてもこの子はどこでも
やっていけるだろうから
困らないように全力でフォローしようと
思っていました。
2012年、4年生になり、3年間切磋琢磨できる
ライバルが入塾してきました。
彼の存在は君にとってかけがえのないものに
なりましたね。
さぼりがちになった君を引っ張ってくれる存在に
なってくれました。
ちょうどそのころ会社は経営難に陥り
8月末から9月ににかけて次年度の予算が立たず資金ぐりに
困り果て、ここでは書けないいろいろなことが重なり
私は心も体に異常をきたしている時期でした。
2人の存在が心の支えでした。
5年になり、塾は新体制になり、さらに問題が
あったのち、君の成績が急降下しました。
こちらは全力でフォローしているものの
どうしても学習に身が入らない時期が続きました。
この時期、いつご両親から成績が下がったので
転塾させます、と言われてもおかしくない
と思っていました。ここだけの話、面談の時は
いつも掌が冷たくなっていました。
それまでに何とか立ち直ってほしいという状況で
やっとこさ算数理科の成績が戻り始めました。
(一貫して国語は崩れていませんでしたね。)
そして6年生になり、力のある仲間が増えました。
彼らと一緒に取り組む中で、自然と勉強する習慣が
ついてきました。
会社は少しずつ安定しはじめてきました。
私も少し気持ちに余裕を持てるようになりました。
合宿が終わり、ラストスパートを
かけ始め、過去問に悪戦苦闘しながら
プラスアルファの対策を消化できるように
なりました。
もともと持っている力は目を見張るものが
あったので、やっとこさエンジンがかかったのかと
一安心するとともに、間に合うかという
不安を持っていました。
そして試験当日、
有久先生と二人で待っているところに
君が来た時、本当に今までの
表情とは違い、いい顔をしていたので、
こちらは安心しました。
そして合格してくれたことを心より
うれしく思っています。
今回の合格の最大の要因は
君の作文でもあったように
【受験のために何事もきつく言わず
プレッシャーをかけさせないようにしてくれた家族の存在】
だと思います。塾はカリキュラムを中心に
進めていきますが、正直理科社会は
一度覚えてもそのうち忘れてしまいます。
(まず日常で俵屋宗達や東洲斎写楽など発音する機会もないので、
忘れて当然です。)
ただ、外部のテストで悪かったときや
公開テストで悪かったとき、
必要以上のやり直しをさせる、
別の教材で家でプラスアルファで
取り組ませることを正しいと思う保護者も
居ることは確かです。
塾でお腹いっぱい食べてきたのに
家に帰っても食べなくてはいけない
それが恒常的に続くと
勉強なんてものはおいしくもなんとも
なくなり、ただの苦痛にしかならないものです。
そうやって勉強ができなくなっていく生徒を
昔多く見ましたし、僕もそのような小学生の一人でした。
ご両親ははっぱをかけることはあっても
技術的なものは一貫してこちらに任せて
くれました。
だから6年になってから受験勉強に
戻ってこられたのだと思います。
放任ではなく、見守ってもらえました。
こちらはそれに応えようと全力でがんばりました。
本当に長い間通ってくれてありがとう。
君達の存在がこの2年間の
僕の心の支えでした。
そしてフェリックスを買い取ってよかった
自分の選択は間違っていなかったと
心の底から思えるようになりました。
これからこの塾はすこしずつ変わっていきます。
時代の流れに乗り遅れたら、この業界はすぐに
淘汰されてしまいます。
また塾に近い学校に進学することになったので、
いつでも自習に来てください。
待っています。
あとは、夜更かしをしないように
気を付けてください。
おめでとうございます。
玉田