2022年度合格体験記 生徒②

生徒様より

「玉田センセにさよなら」

プルルルルプルルルルプルルルル

電車が発車する時刻だ。

飛び乗りたいが、

階段から飛び降りて

右腕を折ったら元も子もない。

恨めしげな目を

電車に向けながら、

歩いて日吉駅の階段を降りる。

電車が一本、行ってしまった。

次の発車は5分後だ。

この電車に乗れないと、

バスの接続も悪くなる。

また母にブツブツ言われるのか。

私がこの日吉駅前の

ひよし塾にたどり着いたのは、

たった十ヶ月ほど前だ――――

私が、まだ受験を

ほとんど意識していないような、

小学6年生の初めだった。

6年とはいえ、

まだ受験を目前にしない

春休みのころは

まだまだ中身は5年だ。

初めてひよし塾に入った感想を

要約するなら、

「寺子屋みたい」になる。

そこでは、3人の先生が待っていた。

玉田久文先生は

スタディサプリで見たそのまま。

残るはパーカーを着て

親し気な笑顔を浮かべている男と、

短髪でメガネのおじさん。

パーカーが生徒に算数を

個別で教えていた。

生徒の真横に座って指導するなど、

私が今までいた塾では

まず見なかった光景だ。

パーカーの名前が

有久啓太(通称UQK太)先生で、

メガネの方が石井覚先生らしい。

有久先生の算数の授業は、

想像以上に生徒が

自主的に参加していた。

受けるだけの受動的な授業ではない。

こんな算数の授業もあるのか。

しなびたキャベツを食べたつもりで

新鮮なキャベツを食べたような感覚だった。

生徒も楽しそうだ。

一気にこの塾が気に入った。

国語の授業。

メガネの石井先生の登場だ。

最初からテキストを

使わないという型破りな授業。

代わりに、一足先に過去問を

やって実地経験を少しでも積む。

過去問の楽しさを

知ることができる、楽しく、

ためになる授業だった。

そしてお待ちかねの

玉田先生の授業。

社会だ。

正直、私が好きな科目ではない。

それだけに、果たして

私がうまく参加できるか、

玉田先生の授業が

楽しみだった。

その結果は上々だった。

単純にテキストを

読むだけでなく、

少しそれた内容の変化球が

ちょこちょこ飛んでくる。

その度に、今まで頭に

詰め込んだ内容を駆使して

頭の中で解答を組み上げる。

その感覚は私を虜にした。

雑学は人一倍持っているので、

知識で答える問題にも

パッと答えられるのが

快感だった。

帰りの電車の中で、

私は今までより

ずっと社会が上達し、

好きになった気がした。

なんとなく先生たちの

様子は分かった。

生徒目線で友達のように

生徒と接する有久先生。

プリントの中にこれでもかと

コメントを書き込む石井先生。

その熱い二人と対照的に

どの生徒も一定の距離も

置きつつ生徒のことを

生徒自身よりも理解している

玉田先生。

塾長の威厳とはまさにこれだ。

春期講習が始まった。

私はまだひよし塾に

入るかどうかの結論を

出してもいなかったため、

春期講習には

外部生として参加した。

みんなといるうちに、

ハリー・ポッター好きの

友達もでき、言葉をかわすようになった。

黙々と先生の話を聞き、

必死に板書をする1日と、

みんなでわいわいと

言いながらどんどん

発言して過ごす1日。

違いは明白だった。

そして、春期講習が終わった。

ひよし塾に来るか、来ないか。

その選択の結論は、この通りだ。

正塾生となって初めての通塾。

首に下げた日吉への定期券が

ずっしりと重たく感じた。

こんにちは、○○○・○○さん。

今日の、運勢は――――

4月6日、ようやく

ひよし塾生になった。

それからの毎日は、

あっという間だった。

友達とは学力も同じくらいで、

互いに負けず嫌いゆえに

競い合うようにして勉強した。

夏期講習でも、算数のプリントを

UQ先生にもらっては、こなして

気がついたらプリントのファイルが

厚さ3センチを程になっていた。

そこからは、急激な成長だった。

算数のテストで一位争いを

制する有力候補になり、

合不合の理科では自分も

信じられないような

偏差値がでた。

とはいってもやはり、

私にしても完璧ではない。

計算ミスと漢字の不思議な間違いは

最後まで直らなかった。

算数の過去問で

大問一の(1)を落とし、

「最悪です!」と書かれたことも、

五回や六回では済まない。

漢字も「豊」と「富」、

「意義」と「意議」、

「収集」と「収拾」etc.

考えれば考えるほど

分からなくなってゆく。

はぁ。もちろん、この時期

頑張っているのは

生徒だけではない。

先生も大忙しだ。

一人ひとりの過去問を見て

間違いを分析し、コメントを書く。

リクエストされた

弱点補強のプリントを作る。

みんなの質の嵐に答える。

将来は、塾講師になるのはやめておこう。

順風満帆だった勉強に、

突然影が差した。

十一月、十二月に入って成績が落ちた。

体調が今ひとつすぐれず、

成績も下り坂。

ひよし塾の魔法も

もはやこれまでかと、

少し諦めたのはこの時期だ。

コロナで延期になった

運動会に修学旅行。

てんこ盛りの学校行事の中、

それでもできる限りのことはした。

弱点補強のプリントを使って

できないところをカバーした。

その成果なのか、

冬期講習が明け、

世の中が受験ムードに包まれる中、

ようやく成績が再び上がり始めた。

しかし、安心している暇はない。

ここで力を抜いたら

それこそ一貫の終わりだ。

そう思って今まで通り

質問も過去問もプリントも

たくさんこなした。

そして迎えた一月受験。

人生初の中学受験がスタートした。

埼玉の女子校だ。

算数の過去問を見る限り、

調子がいい時は満点近く取れるのに、

低い時は半分ちょっと。

差が異様に大きい。

合否は算数にかかっているというのに。

運に任せるしかなかった。

その運の結果やいかに――――。

テストを受けるよりも

結果を見る方が怖かった。

見る前なら、

なんとかなるような気がしていた。

合格発表を見て力が抜けた。

初めて自分が力んでいたことを知った。

次の学校の受験日。

前日はちょっといいホテルに泊まり、

朝ご飯も満喫した。いい天気だ。

うん、合格する気がする。

根拠?そんなもの、

どこにもないさ。

とてもワクワクしている。

テストが楽しみだ。

隣で母が遠足じゃないのにと呆れている。

先生の忠告を思い出しながら、

頭の中でスピッツのロビンソンを再生する。

準備完了。あとは、受けるのみ。

しっかり楽しんだ。

受験なんて楽しんだやつが勝つ。

ひよし塾の六年生としての最終日、

一月三十一日。

最後の最後、

私にはまだやることがあった。

なんとしてでも、

先生に終わるわけない

と言われたプリントの束を

終わらせなくてはいけないのだ。

終わるわけないとは何事だ。

あり得ない?

あり得ないなんてあり得ない。

私は意地と根性で

なんとか壮行会前に終わらせた。

そして、プリントが

終わることの意味が分かった。

これ以上プリントはもらえないだろう。

つまり、できることは

もう終わったということだ。

こんなにも、

受験勉強の終わりはあっけないのか。

でも、そんなこと言っている場合じゃない。

先生の言うことを聞き、

考え、自分なりに理解した。

某塾のような鉢巻はもらえなかったが、

消しゴムをもらったので

それを使うことにしようと握りしめる。

三日連続の筆記試験に

二日連続の面接が終わった。

肩揉みマシンが欲しいと、

生まれて十二年目にして思う。

そしてこの五日間は

先生たちも疲れたはずだ。

脳裏に先生たちの顔が浮かぶ。

玉田先生、有久先生、石井先生。

そして、直接は習わなかったけれど

いつも私達を温かく

見守ってくれた他の先生たち。

今年の初めに

塾を変えていなかったら、

今と同じ結果には

なっていなかったに違いない。

この、小規模だけに手厚く見てくれる

寺子屋のようなひよし塾で良かった。

でも、もう、ひよし塾に

受験生として行くことはない。

そう思うと、寂しくなった。

玉田先生、有久先生、石井先生、ありがとう。

そして、たまだセンセにサヨナラ。

またきっと、ひよし塾に来よう。

玉田より

私は今年度の

受験生が執筆した

「玉田センセにさよなら」

を読みました。

受験生が受験終了後に

冊子にしたものを

渡してくれました。

その時は題名と

合格体験記とが

結びつかなかったのですが

受験生から直接

尊敬する作家の作品名を

オマージュして

合格体験記を

物語形式で書いたことを

伝えていただき

浅学菲才の私も

理解できました。

読み始めて驚きました。

私が思っている以上に

当時の情景描写と背景と

主人公の視点がぶれずに

心情描写が読み手に

伝わるように

表現されていたからです。

私が12歳の頃

同じような文章を

書けていたのでしょうか。

絶対に出来ません。

文章を書くには

まずその何倍も読書を

重ねて名文を読み

そこからヒントを得て

新しい文章を

創りだせばいいのかと

ヒントをいただきました。

文中にあった

生徒との距離が近い有久先生

宿題ノートなどに真摯に

アドバイスを送る石井先生

ごもっともです。

そして何かを考えているようで

実は何も考えていないが

眉間のしわで考えているように

見せている玉田先生

という表記であれば

これは全てを

見透かされてしまっている

と危機感を持ったのですが

少し安心しました。

スタディサプリを

視聴していただいていたことを

受験が終わって

お会いしたときに

初めて知りました。

スタディサプリをご利用いただき

ありがとうございました。

てっきり前年の

卒業生からの

ご紹介だと

思っていたので

松重豊ばりに

それもっとはやく言ってよ~

という気持ちになりました。

通塾は以前と比べて

充実していたということ

とてもうれしく

思います。

社会の授業で変化球を

投げては打たれまくった

春期講習は

懐かしい思い出です。

学校で得る知識

塾で得る知識

それ以外の場所で

得る知識

社会科に関してはどの学校を

受験しても大丈夫だと

思っていました。

ただ、少し自信が

なかったのかな。

1月の最難関校の

過去問に対しては

難しい問題という

印象を持たさないために

「この学校の問題、

本当に面白いよね!」

という声かけしか

していません。

思い出してみてください。

他の学校の時よりも

コメントが

多いはずです。

それが功を奏したとは

思いませんが

大きな力で空に浮かべたようで

2月の試験に向けて

万全の体制で臨めたことを

嬉しく思います。

そして,

合格出来たことを

嬉しく思います。

進学先では

自分が取り組みたいことを

どんどん取り組み

宇宙の風に乗り

終わらないうた

ばらまいてください。

そして大学生になったら

戻ってきてくださいね。

ご通塾ありがとうございました。

玉田