2025年 合格体験記 保護者様⑦
習い事と両立をはかりながらの
中学受験を終え、半年が経ちました。
振り返りながら、我が家の体験を記します。
◆ひよし塾との出会いは3年生、ロボット教室
次男のJは元々、
中学受験を予定していませんでした。
長男が数年前に中学受験をし、
コロナ禍に翻弄され、
親としては、受験をしばらく
遠ざけたい気持ちでした。
また、Jの生活リズムは通塾に向かず、
負担がかかり過ぎて体調を崩すに違いない
と判断していました。
中学受験をしないならば、
好きな習い事を増やすのもよかろうと
ロボット教室を探し体験を経て
ひよし塾に入会したのが、3年生の6月。
楽しく通いながら4年生になった春
玉田先生から思いもよらない言葉を聞きます。
「Jくんのロボット改造
おもしろいですよね!
この子なら、i校とか行ったら
楽しいと思うんですけど
受験とか考えてないんですか?」
そこで上記の事情を話し(たと思います)
帰宅しましたが、
意外な校名に揺さぶられました。
男子受験校の校風や偏差値帯は
だいたいの肌感覚があります。
i校は、とてもユニークな校風イメージ。
へぇ、Jにそんな選択肢がありうるんだ‥!
目からウロコ…の思いで、その1ヶ月後、
i校の学校説明会に、足を運んでみたところ、
校長先生の話もおもしろく
他校では類のない多彩な部活を見学した結果
Jは好感触を持ったようでした。
ここから、中学受験検討が始まります。
(結果、i校は出願せず、でしたが)
元々、音楽の習い事に注力しており
グループでレッスンしているため
曜日は、個人の事情で動かせません。
そしてJにとっては
「最後の一人になっても僕はやめない」
と言い切るほど、優先度が高い。
習い事を優先したいなら、
曜日が重なれば、塾を休む必要があり
学習面では不利です。
大手塾では、毎学年
通塾曜日が変わるのは当然で
習い事を優先し続けられるかは
難しい。
まず、曜日。
音楽教室は、金曜から動かせません。
金曜を避けやすい塾はあるか?
大手塾、中規模塾のほとんどは、
金曜に授業があり、
しかも算数だったりする。
算数を休み続ける訳にはいきません。
ひよし塾
この学年は金曜は理社。
4年時は 19:00終了。
近隣の大手塾
金曜を避けられそう。
4年時は 19:30終了。
このふたつに絞り
テストと体験授業を受けた結果、
ひよし塾に通うことに決めました。
決め手となったのは、
通塾曜日が3年間固定されており、
習い事で休んでも
他曜日に補講対応があること。
習い事に注力し
金曜を休んでいる子が既に複数いて
木曜に理社の補講を実施している。
学力的に、このメンバーなら補講で
互いに刺激し合える旨
玉田先生のコメントも後押しになりました。
また、19時終了で早めに帰宅でき、
Jの生活リズムでも、なんとか
こなせるのではないかと判断しました。
◆習い事を優先し、理社は2年以上の長期補講
4年の7月から通塾を始め
6年の10月までの長期間
理社は補講でお世話になり続けました。
2年4ヶ月もの長期間にわたります。
集団授業を基本としながら、
個別対応にこれほど融通をきかせる塾が
あるでしょうか‥?
ロボット教室通いで馴染みはあったものの、
夜の通塾は初めてです。
集団授業は、楽しいようで、
クラス仲間と丁々発止しながら
過ごした様子です。
帰宅すると、その日の内容を
アレコレ解説してくれました。
少人数の補講(木曜の理社)は
「笑いが絶えなくて楽しすぎる」
と満喫していました。
生活リズムは
5年生になり20時終了に
なってもなんとか回りました。
学年が進むごとに
Jも成長してきたのだと思います。
ただし、帰宅後は、夕食・お風呂・寝るのみ。
「その日のうちに復習」は
一度もできないままでした。
また、朝は起こすまで
起きてこなくなりました。
睡眠の面で、身体に負担を
かけていたと思います。
◆幅広く学校見学しました
男子の中学受験の経験はありましたが、
性格が異なる兄弟。
学校選びもゼロから、と考え、
i校含め、足を運んだ学校は、13校。
Jは見学したい部活がハッキリしており、
体験授業があれば、とにかく理科。
目を輝かせて参加する様子に、
この子は、ユニークな私学に通うほうが、
よいのだなぁ‥と
以前の判断(受験はしない)を省みました。
2/1午前校、午後校は、
選択肢が多く、迷いました。
i校の他に、候補にしたい学校が浮上します。
先生から名前が挙がった2校で、
ひとつは、A校。
i校とは別の意味で
驚きました。
合格の現実味があるとは
思えなかったのです。
玉田先生は言います。
「Jくんは、あわせていけると思います」
期待の言葉をいただけるのは
親として悪い気はしません。
が、先生、うちの子に無謀な挑戦をさせようと
しているのでは…と不安も感じました。
もうひとつは、H校。
管理が厳格なイメージが強い学校です。
玉田先生は
「それが、全然そうでもないんですよ」と言います。
実際に足を運んでみると、
先生方はフレンドリーで生徒との距離が近く、
のびやかな雰囲気を感じました。
親個人の思い込みとは‥
視野を狭くするものだと反省。
5年6年と、年度は進みます。
学校説明会、文化祭、オープンスクールに参加し、
音楽教室とロボット教室(とスイミング)に通い続け、
塾の授業に通い、宿題に取り組み、
売れっ子アイドルのように
忙しいスケジュールです。
時折「忙しくて、しんどくない?」と確認すると
Jは「ぜ〜んぜん」と答えますが、
私は慎重に見ていました。
Jは、自覚がないまま
まわりが事前予測できないまま
体調を崩すことがあるのです。
音楽とロボットと理科に対する好奇心を
失わない範囲で、受験生活を続ける。
しんどくなったら、環境を調節する。
これが夫と共通した、我が家の受験ルールでした。
◆6年生になり志望校が出揃う
受験層の中での立ち位置は
親にはよく分からないまま、迎えた6年。
4,5年で受けてきた組分けテストでは、波があり、
テストのたびに立ち位置が変動しました。
科目によるバラつきもあり
2/1候補のA校、H校、i校が、
Jにとって適切なのか
まるで判断がつかず、
チャレンジ校と位置づけるにしても
無謀な挑戦に思えました。
面談のたびに、毎回同じ相談を
玉田先生に投げかけました。
Jの受験校として適切なんでしょうか‥と。
先生はその度に、
「そんな(無謀な)ことないです。
あわせていけると思います」
とブレません。
夫の考えは、
「先生が長い経験に照らして、得ている感触ならば
それを信じていいんじゃないか」と。
私の考えは…
先生は「こういう子がA校やH校に受かるかどうか」
の人体実験をしているのではないかと。
(ヒドい表現ですみません…そのくらい
理想と現実はかけ離れているように感じていたのです)
6年生の4月で、志望校は出揃い
2/1午前のA校が、第1志望です。
ただ、受験2週間前まで、親の胸中では
守りのD校E校を含め
2/1午前はダブル・トリプルスタンバイでした。
(H校は夏の時点で、候補から外しました)
6年秋まで、D校E校の文化祭や
入試説明会に足を運び続け
A校からいつでも切り替えられるよう
守りの体制で準備していました。
◆合不合判定テストでは毎回
「チャレンジ校」の判定。本人はマイペース。
4〜12月の間、受けた合不合判定テストでは、
第1・2・3志望のA・B・C校全て、
20%〜45%と「チャレンジ校」の判定でした。
判定を鵜呑みにする必要はない
と思っても
受験戦略として、かなりハイリスクだと
突きつけられた気持ちでした。
しかし、本人は
4月の判定を見ても
「ま、これからっしょ♪」
と前向きで、マイペース。
6月の「第3志望まで全て30%以下」
の判定を見ても
カラリとしています。
この受け流し能力、
呆れるというより
すごいなぁと感心しました。
7月、玉田先生から、
「そろそろ土曜の時間など、
本格的に受験勉強を始めよう」
と声がかかります。
夏期講習が始まり、習い事を整理しました。
スイミングは、7月で区切りをつけ、退会。
ロボット教室も、7月で退会を決心。
後ろ髪ひかれていましたが
受講も振替消化も難しくなりました。
音楽教室は、9月のステージに向けて
レッスンを続けていきます。
受験予定校は、志望順に、
A校 1日午前
(D校・E校も控えてトリプルスタンバイ)
B校 2日午前
C校 3日午前
D校 4日午前
F校 1日午後(2日午後)
Jは夏までこう言っていました。
「僕にとっては全部、第1志望なんだ」
親は、どうかA校かB校に‥と欲が出ますが、
Jには、どの学校も面白そうに見えている。
それでいいんじゃないかと、
少し気持ちが楽になりました。
◆9月の外部模試では、肯定感を持てる判定
9月、外部模試も利用しました。
受験校の出題傾向にあわせた模試で、
本番当日に近い層が受験するため
立ち位置が参考になるとのこと。
判定結果
A校 50%
B校 80%
玉田先生の
「Jくんは、あわせていけると思います」
その言葉が、初めて真実味を帯びました。
当日に近い条件で、この判定ならば‥
Jは、この方向性でいいんだ。
9月に一度、この肯定感を(親が)持てたことは、
2月までの残り5ヶ月間
気持ちの拠り所になりました。
週末を含め、忙しい9月でした。
・各校の文化祭(5校)
・外部模試 2回
・過去問の取組スタート
・日曜に学校別特訓スタート
・音楽アンサンブルのステージと臨時練習
塾と重なる時は、塾を休んで練習参加し、
目標だった受賞が叶いました。
これで、しばらく音楽イベントはお休みです。
◆過去問にひたすら苦戦
9月、
志望校の過去問に取り組み始めました。
◯月◯日にどの学校、どの年度に取組むかを、
先生と相談しながらスケジュールを組み、進めます。
毎回の得点や、合格最低点との
差異を記録する冊子があり、
先生からコメント等が返ってきます。
点数が、全く届きません。A・B・C校全て、
5点10点レベルでなく、
30点40点レベルで、届かない状況が続きます。
11月、
玉田先生から
「残り60日、ここからラストスパート、本気出していこう」
と声がかかります。
有久先生から
「Jくん、9月10月と、あんまり勉強してないです」
とズバリの指摘。
本人いわく「ばれたか〜」
親としては、9月の外部模試で得た
この方向性でいいんだ、の肯定感が、
またグラグラと揺さぶられます。
(ばれたか〜じゃねぇわ!の心の叫びをグッとおさえ…)
12月、
合格最低点に数十点、届かないままです。
2/1午前校の、ダブル・トリプルスタンバイを
現実的に考え、D校・E校に過去問を切り替えて行くべきなのか。
年末が近づく中、胃の痛む思いで悩みました。
一方で、Jが
「少なくとも、D校(第4志望)には行きたい」
と言い始めました。
どこを受験するかについては、小学校でも塾でも
互いに言わない&聞かないルールになっていて
皆、真面目に守っているようでしたが、
それでも、各校がどのようなイメージか
どのくらいの偏差値なのか
子どもなりにつかんできたのでしょうか。
夏まで「全部、第一志望」
と言っていた状況から、変わりました。
12月下旬、
D校(第4志望)の過去問に取り組み
合格最低点に届きました。
(しかし、年度によって届かないこともあり)
F校(第5志望)も、合格最低点に届き
このまま良いイメージでいきたい状況。
Jの好奇心を失わない範囲でやる、
そう決めた受験でした。
その範囲でご縁があるなら、D・F校進学で納得です。
けれど。
A校かB校に通う姿を、やはり期待していました。
親のエゴだと分かっていても。
あと1ヶ月で、Jがあわせていけるか、
現実的には、難しいのではないか‥
◆習い事を休会、いよいよ冬休み。
9月のステージ後
週2回の音楽教室に通い続けてきましたが、
11‐12月は週1回に絞り、
1月は1ヶ月間、休会です。
習い事と受験の両立を、
双方の先生から支援いただきながら
冬休みを迎えました。
親の気持ちの上では、ダブルスタンバイのままです。
(E校は外し、A校とD校のダブルスタンバイ)
合格最低点に届く見込みが立たないA校に
こだわり続けるべきなのか?
ギブアップして、1日午前をA校からD校に変更し、
早めの合格を手にしたほうが、よいのではないか?
その上で、第3志望のC校合格を目指して、
1月はC校の過去問対策に集中するほうが
よいのではないか?
(12月下旬時点で、C校も一度も最低点に届いていない)
親がよかれと、合格確率の高い学校へ誘導・変更し、
その一方で、子ども自身は納得がいかないままで、
結局、親も子も後悔する‥という経験談を耳にします。
どうしたらよいのか、考え過ぎて
よく分からなくなってしまいました。
12月は、個人面談以外にも、
頻繁にメールでご相談に乗っていただきました。
玉田先生からは、
「1/7-8に、D校過去問に取り組んだ後は、
A校〇〇年・B校〇〇年に取り組んでください」
と、このままA校B校で推進していく返信です。
親も、覚悟を迫られる中、
大晦日、さらなる試練が。
◆39度台の発熱、年明けの1週間通塾できず
12/31の夜6時、Jの様子がおかしい。
計ると、38度。
インフルエンザを疑いましたが
どこも年末年始で休診です。
休日急患診療所も、数時間待ちと聞きます。
発熱したばかりで、検査をしてもまだ陽性判定が出ず
無駄足になる可能性も高い。
ならば横になれる自宅で
このまま様子を見ることに。
ワクチン接種をしていたので、
軽く済むのでは、という期待もありました。
高熱は二晩続きました。
1月2‐3日と37度台に下がったものの
咽頭痛と咳が出始めます。
1月4日(再び38度台)
かかりつけの病院で受診すると
インフルは陰性で
風邪の診断でした。
(陽性でも、すでに抗インフルエンザ薬を
使うタイミングは過ぎていますが)
インフルであれば、少なくとも同じ型に
受験直前にかかる心配はないので、
陰性の結果を聞き、
「今後、インフルにかかる可能性がまだあるのか‥」
とがっくり。
発熱状態で受験した
という経験談も聞きますが
40度近く発熱したJは、
一人で歩けないほどフラついていました。
試験どころか、学校に
たどり着くことすら無理でしょう。
結局、我が家は予防投与を利用することに決め
受験直前に服薬する段取りをつけました。
私も看病で消耗しました。
もう風邪や感染症は
勘弁してほしい…と切に願い
小学校を、思い切って休む決心をしました。
元々は、直前の1週間を休む予定でしたが、
1月は丸々休むと、方向転換し、
小学校の先生に連絡しました。
「無理しなくて全然大丈夫ですよ」
とあたたかい言葉をいただき
ありがたかったです。
結局、この発熱・風邪症状で1週間、塾を休みました
通塾を再開できたのは、1月受験の5日前。
体調は戻ったものの、Jはテンションが低く
イライラする回数が増えました。
自習室の利用を促しても
理由をつけて行きたがりません。
親子バトルが勃発しかけるのを、グッと我慢。
風向きを変えたいと、
玉田先生に、Jへの声かけをお願いしました。
苦しい時こそ塾を活用ください
の言葉に頼りました。
Jの意見を聞き、気持ちを
確認してくださったようです。
幸い、翌週には、落ち着きを取り戻しました。
親子だけでは、乗り切れない局面だったと思います。
◆受験が始まりました
1月中旬、地方校・G校の受験です。
埼玉・千葉の受験は見送り
塾から校名が挙がったG校を受けました。
過去問対策は、塾にお任せしました。
1月当日、都内会場へ。
開場前に校舎前に並びます。
塾ではなじみの友だちの顔も見えます。
校舎に入る姿を見送りました。
初めての本番を終え、
お迎えの時の表情はいつもと変わらず明るい。
友だちと一緒でしたが、各家庭で、
親子待ち合わせや、ルートが異なり、一度解散。
ひよし塾で再集合し、反省会をしてから帰宅しました。
結果、合格。
受験本番の感覚をつかめたでしょうか。
◆受験校を変えない決断
年末年始の発熱と
地方校・G校の受験を経て、
自宅では、変わらずA校・B校の過去問に
取り組み続けています。
午前中は、自宅で過去問に取り組み
13時から開室のひよし塾の自習室へ向かい
先生へ質問タイム。
17時から授業がありますが
1月は早めに授業が終わります。
本番に向け、朝型に切り替えていくためで
合理的だと感心しました。
1月は、私も午前中はなるべく
在宅できるよう、調節しました。
やるべきことを書き出していても
ひとりにすると気が散りやすく
ロボット改造などで
数時間使ってしまいます。
どうしても、随所で声かけが必要でした。
私は、2/1午前D校をダブル出願するべきか、
〆切をギリギリまで意識しながら
過ごしていましたが、
1月中旬、変化が。
A校B校の、合格最低点に近づいてきました。
直前の2週間、猛烈なスパートでした。
Jが連日持参する過去問の解答用紙に、
先生から熱い赤ペン指導が書き込まれ、
すごい勢いで戻ってきます。
集中力を要したのは、Jだけでなく、
先生も同じだったと思います。
解答内容についてのみでなく、
「こんな字の書き方では採点者に失礼だ」
と、試験に望む心がまえまで
書き添えられています。
過去問対策指導が
これほどまで熱く濃いものと知り
一学年30人までの制限をかけているのは
過去問指導に手が回らなくなるから、という
ひよし塾の方針に深く深く納得しました。
A校B校ともに
合格最低点を超えるようになりました。
少し前を思えば、信じられないような状況ですが、
目の前の、集中力を持ち始めたJを見ると、
信じられる点数にも、思えました
長らく悩んできた
2/1午前D校の出願は、見送りです。
怒涛の2週間を疾走した後の1月31日夜、
私はすがすがしい思いでした。
Jがこれだけやったのだから
無謀な挑戦ではない。
どのような結果でも、受け止められる。
◆2月1日を迎えます
2月1日当日の朝
先生方に駅で見送っていただき
午前のA校へ送り届け
振り向かず会場へ向かう背中を見て
しみじみとした気持ちを味わいました。
お迎えの時、
「国語の記述を書き直し途中で、
終わっちゃったのがなぁ‥
でもわりと手応えがあったがする」
(好反応に聞こえますが、
Jの「手応えがあった」は、黄色信号です…)
午後のF校の最寄駅で
玉田先生とお会いできました。
手応えがあった、のコメントを聞いて
「危ないな」と先生も感じた、
とは後日談です(苦笑)。
午後は2科目とはいえ
解散時、F校のグラウンドはすでに暗闇。
疲れた様子は見えませんが、明日も朝が早い。
2月1日深夜、Jはすでに寝ています。
まずは、午後のF校の発表がありました。
結果、合格。
胸に染みる、お守りのような合格です。
残念だった場合は、2日午後の追加出願を
準備していましたが、見送ることができました。
家中が寝静まっており、電話はかけられず
メールでひよし塾に報告し
明日の天気予報を確認して私も寝ました。
2月2日は積雪予報もありましたが
幸い、雨でとどまってくれました。
起こしたJに、F校の合格を伝えました。
早朝の駅で、先生達に会い、
F校合格おめでとう、と
また見送っていただきました。
B校に送り届け、雨の中、駅へ戻り、
もう親にできることは、やりつくしたと思えました。
お迎えの時、塾の戦友と一緒に
校舎から出てきました。
お疲れ様‥
小規模な塾ながら
刺激しあえる仲間に恵まれたことに感謝です。
家庭ごとに解散し、校門を出ました。
ターミナル駅で昼ごはんを食べている最中、
昨日のA校の発表時間を迎え
携帯の発表ページを更新しました。
どちらの結果でも納得とはいえ
やはり、緊張します。
結果は…合格でした。
おめでとう。
その思いは、よくぞやってきたなぁと
じんわりしたもので、
はじける歓喜とは異なるものでした。
お店を出て、夫に続き
玉田先生に電話します。
飲食街の賑やかさで
先生とJのやりとりは
私の耳には聞こえませんでしたが、
Jの12年の人生の中で
最も喜ばしい電話であったと思います。
A校に合格をいただけた一方、
明日のC校まで受けきりたい、
という本人希望で、2/3まで受験しました。
翌日、久しぶりの小学校から帰宅後
最後の発表を見届け、Jの受験は終わりました。
結果
1月 G校
2月1日 午前A校/午後F校
2月2日 B校
2月3日 C校
全校合格の結果に、恵まれました。
(2月2日午後、4日、5日は準備するも出願せず)
本人は、ひよし塾の合格実績に貢献したい
とずっと口にしてきたので、
自分の合格として以上に
ひよし塾の一員として
数倍喜んでいるように見えました。
ABCいずれも‥1月中旬まで
合格最低点に一度も届かない中、
辿り着いた合格ラインです。
望外の恵まれた結果となりましたが、
成功体験と括るのは、大味過ぎる気がします。
4年生の夏から2年半の長距離走にもかかわらず、
合格可能性の光が見えたのは、直前2週間です。
もう少し早くから合格最低点に近づいていたら‥
と思わずにいられません。
長距離走に、ペース配分は大事なはず。
再現性のある…参考になる受験戦略では…ない気がします(苦)。
本人も「よく受かったよねぇ…後輩には
もっと早くから勉強したほうがいいって伝えるよ」と。
Jは受験を終えた数日後から、
音楽教室を再開し、3月のステージに向けて、
アンサンブル仲間の輪に戻りました。
4月、ワクワクで始まった中学校生活は、
ロボコンと音楽で忙しいながら
毎日一緒に夕食をとれるようになり、
9時過ぎに就寝する生活リズムに戻っています。
塾でお弁当を食べ、9時まで勉強してきた
小6の日々を思い出し、
その頑張りを、あらためて感じています。
ーーー
親である私は、
我が子の力に確信を持てず、
常に守りの安全策を取ろうとし
チャレンジさせる英断を直前まで持てないまま…でした。
一方で、玉田先生は
4年生から受験まで
一貫してブレませんでした。
「Jくんは、あわせていけると思います」と。
4年生の春
「この子なら、i校とか行ったら楽しいだろうと思うんです」
と思いもよらない進路を提示くださり
中学受験の道が拓けたこと
A校を受験候補として提示いただいたこと
点数が届かなくても
A校の過去問に取り組み続けるようにと、
舵取りいただいたことが
結果につながりました。
どれも、家庭内・親だけでは
なしえませんでした。
音楽の習い事を優先しながらの通塾生活の中、
指導し続けてくださったことへの感謝は
半年経った今でも薄れません。
集団授業を基本としながら、
優先したい習い事への補講対応など
個別対応のきめ細やかさ。
大手塾では難しいことだと思います。
玉田先生はじめ、ひよし塾の先生方の思いと
健康あってできることですから
どうぞご自身のお身体も大切に
これからも子ども達と保護者を
お導きいただきたいと思います。
ロボット教室時代から
長い間、お世話になりましたこと、
重ねて御礼申し上げます。
ありがとうございました。
【玉田より】
3年生のロボット教室より
ご通塾いただきありがとうございました。
お子様は
ロボット教室時の会話や改造の発想が
とても面白く
私の中ではある程度の学年になれば
大手塾に通うのかなと
考えておりました。
ご家庭のお考えをお聞かせいただき
またその後ご通塾いただきましたこと
本当にうれしく思います。
日頃のコミュニケーションから
志望校のご提案はテストの結果を
度外視しておりました。
狐につままれたような志望校の
ご提案と思われたかもしれませんが
いずれどこかのタイミングで
志望校合格に向けて切り替われば
一気に得点がとれるようになり
全ての志望校に合格できると
思っておりました。
結果が出るまで待つことが
保護者様にとっては一番しんどい
と思います。
一向に安心できる材料がないまま
1月を迎えたこと本当に
申し訳ございませんでした。
授業時のクラスメイトとの
言葉のドッヂボールは
楽しく見守っていました。
お子様は色々なタイプの
クラスメイトに
恵まれたと思います。
またお子様に良い影響を受けた
仲間もたくさんいました。
6年生の12月まで
回数は減りましたが
習い事との両立を図り
頑張ってくれたこと
後輩や保護者様の
励みになります。
過去問に関しても
最初は得点が取れませんでしたが
1月に入ってから受験勉強に
全力で向かった結果
取れるようになったので
志望校をご提案し続けた
私の考えた成長曲線と交わり
その後は一気に曲線から上振れて
くれました。
最後の過去問添削は質も量も
同級生といっしょに
スピードアップしてくれたので
毎日私も時間を捻出して取り組みました。
今振り返るとかなり頭を絞りました。
私にとっても良い経験になりました。
私がお子様に
不安を感じたのが1回だけ
1日午後の最寄り駅で
お声がけをした際の
1日の手ごたえの感想でした。
上手く行ったときほど
冷静にできていない問題が
気になって不安になり
手ごたえがあるときほど
どこかで大きなミスを
してしまっていることがあります。
1日午後入試の結果が
上手くいったので
2日以降も自信を持って
取り組んでくれると安堵しました。
2日に合格のお知らせをいただいた際に
私もうれしいというよりも
結果を出してくれて一安心
という気持ちでした。
今年の合格体験記を
拝読しておりますと
生徒のみなさんは異口同音に
塾の実績に貢献したいと
言ってくれています。
本当にこの塾を続けてきて
良かったと思います。
またそのように誰からともなく
同じような言葉がでてくるような
塾にしていきたいと思います。
また6年後大学生に
なったときに一緒に
働けることを楽しみにしております。
この6年間で充実した
学生生活を送っていただければ幸いです。
最後に
これから過去問演習が
はじまり、得点が取れない時に
塾の指導や私に対して
不信感を持たれる保護者様が
おられると思います。
そんな時に
この合格体験記をお読みいただけると
私がその場の雰囲気で
話を合わせているのではなく
またお子様を通して
人体実験をしていないことを
理解していただけると思います。
この塾でしかできない
中学受験勉強の環境を
お子様にご提供できたのであれば
講師冥利に尽きます。
また今後、在校生にも
提供できるように
一層努力していきます。
本当にご通塾いただき
ありがとうございました。
今後のご健康とご多幸を
お祈りいたします。
玉田
