2024年合格体験記 保護者様②

【本文】

我が子は3年生の2月から
中規模の中学受験塾で
通塾をスタートしましたが、
5年生10月に
ひよし塾に転塾しました。
前塾では教材整理から
丸付け・直しまで
親が横にミッチリ
ついていないと成り立たず、
仕事を終えた後の
遅い時間から勉強を
見なければいけない
生活でした。

自習室環境も乏しかったため
学習のペースがうまくつくれず、
勉強のことで子どもに
ガミガミ・イライラしてしまう状況に
限界を感じたのが転塾理由でした。

我が子は当初は、
中学受験について
明確な意思はなかったと思います。
当初は塾通いも楽しんでいたものの、
勉強量が増え、
課題にも時間にも追われて
親子でも衝突が増えた
5年生の冬頃、
「無理してやらなくてもいい、
やめてもいい」
と何度か話しました。

我が子は、
「ここまでやったのにやめるのも怖い。
でも続けるのもしんどい。
始めたのが間違いだった」
と言いました。

そこまでの状況に
なってしまった我が子が、
どうしたら
「自分のために自分の意志で精一杯がんばった」
と気持ちよく終えることが
できるだろうと、
途方に暮れました。
この頃が最も親子ともに
つらかった時期でした。

ひよし塾に転塾後、
我が子は授業自体は
楽しむものの気が散りがちで、
静かな自習室には耐えられず、
ほとんど利用せず・・・
なんとか行かせてみても、
1時間もしないうちに帰ってきたり。
玉田先生にご相談すると、
3者面談の機会を設けてくださり、
「お子さんのような自由なタイプの子は、
先に枠を決めてギプスで
固めてあげた方が
ストレスを感じにくいかもしれない」
ということで、
春期講習からは
先生が声をかけてくださり、
毎日決められた時間に
自習室に行くように。

その後は、自習室に
行った方が楽だと思ったのか、
6年生の夏ごろには
朝から晩まで自習室に通うのを
いとわないようになりました。

学習のペースはできたものの、
宿題のメモもとらない、
プリントはあっちこっちに散らばり、
何をいつまでにやるのか
といったスケジュール管理なども
苦手なまま。
そのあたりは
最後までサポートしましたが、
「言われたからやる」
「言われたことだけやる」
という他人事感から
なかなか抜けられませんでした。

6年生秋以降になると、
志望校に合わせて
「やること、やらないこと」
といった優先順位をつけた
取捨選択が必要になりますが、
一緒に計画をたてても、
いつの間にか
スケジュール表が行方不明になる、
ということもしょっちゅうで・・・。
もちろん、毎日精一杯
頑張っていることはわかっているものの、
ここから先は本人のやる気と自覚次第・・・
親も忍耐が試されました。

試行錯誤する中で、優先順位の付け方、
気持ちの持って行き方など、
教科の指導以外の部分も、
先生方にはたびたび
相談に乗っていただきました。
本人だけでなく親も、
先生方のお手を煩わせたことと思います。
ただいつも、先生方が我が子の将来を
思ってくださっていること、
そのために全力を尽くして
くださっていることは疑う余地がなく、
親の懸念や不安にも
向き合ってくださったこと、
本当にありがたかったです。

6年生の夏前にはようやく、
我が子自身が
「通ってみたいな」
と思える学校に出会いました。
なかなか学力は追いつきませんでしたが、
それでも過去問を
10年分以上取り組み、
その過程で我が子自身も
「ここに行きたいんだ、
ここに行くために頑張っているんだ」
という気持ちが固まってきたように思います。

なかなか過去問の得点が安定しない状況で、
2月1日の午前中に第1志望校を受けるか、
手堅く第2志望校にするか、
とても悩みました。
本人は
「絶対に第1志望を受けたい、
そのために頑張ってきたんだ」
と言うものの、親としては
リスクや歩留まりも考えざるを得ません。

最後は玉田先生や本人とも話し、
「12月~1月にかけて
最新年度の過去問3回分を解いて、
その結果と取り組みの姿勢で決める」
ことに。

その頃から、わが子の姿勢も
目に見えて変わってきたと思います。
直前には不安や焦りから
思うように解けなくなる
時期もありましたが、
先生からも
「2月1日午前は、本人の希望で」
と背中を押され、
最後は我が子の意志で
第1志望校を受けることに決めました。

本番前夜、両親から我が子に、
手作りの「合格証」を渡しました。
合否の結果はどうなるかわかりませんが、
結果にかかわらず、
ここまでよく頑張った、
素晴らしい成長を見せてもらった、
という気持ちでした。

合格証を読み上げると
「家庭内紛争を乗り越え・・・」のくだりで、
我が子も大爆笑。

お互いにつらい時期はありましたが、
親子で一緒に奮闘してきた充実感と、
最後まで逃げずに頑張った
我が子へのリスペクトを再認識し、
「どんな結果でも大丈夫」
と自分に言い聞かせることができました。

第1志望校の結果は
2日の午前9時発表。
結果がわからないまま
第2志望校の受験に向かいましたが、
我が子は
「自分で見たいから、見ないで待っていて」
と。
試験が終わるまでの間、
「どこで結果を見るか」
「ダメだった時はどういう声をかけるか」
「お寺の境内で見て、ダメだったら
そのままお参りして悪い流れを断ち切るか・・・」
などと、夫婦でドキドキしながら
細かくシミュレーションしました。

第2志望校の試験を終え合流してからも、
「まだ見たくない。先にお昼ご飯を食べる」
などと言う我が子・・・
よほど不安だったのだろうと思います。
「いや、もう待てない!見よう!」
と、お寺の境内で一緒に
スマホの画面をクリックしました。

「おめでとうございます」

という画面を見た時の
我が子のうれしそうな顔は、
一生忘れられないと思います。

我が子は
「もし合格してたら泣く」
と言っていたのですが、
思わず抱き合って喜ぶ
両親の姿に驚き過ぎて、
涙が引っ込んだそうです・・・。

受験を間近に控えた年明けごろ、
恒例の田舎への帰省も控えていた
我が子に
「受験が終わったらどこに行きたい?」
と聞くと、迷わず
「○○公園!」
と言いました。
いつも学校の友達と一緒に
ドッチボールをしていた、
近所のただの公園です。
帰省でも沖縄でも北海道でもなく、
「いつもの公園」に行きたいという
我が子の言葉に、やんちゃな小学生が、
どれだけ我慢して
どれだけ頑張ってきたんだろうと、
胸が熱くなりました。

いま、我が子は毎日毎日
日が暮れるまで、
いつもの公園で友達と走り回っています。
くたくたになって帰宅し、
21時台には電池が切れたように
寝てしまう姿を見て、
22時近くまで塾で机に
向かってきた数か月前までの我が子は、
どれだけの鎧を着て
頑張っていたんだろうと思います。

中学受験に取り組んだ3年間は、
怒りたくないのに怒ってしまったり、
我慢すると決めたのに
爆発してしまったり・・・

子どもに多くのことを求め、
ダメなところが目について、
そんな自分が嫌に
なることもたびたびでした。

親子でも夫婦でも意見が食い違い、
傷つけあうこともありました。
でもそれぞれが逃げずに向き合ったことで、
家族がお互いを理解し直す
機会にもなりました。

真剣勝負でぶつかり、
同じ目標に向かって
一緒に取り組んだ経験は、
それぞれにとって
かけがえのないものになったと思います。

いろいろな困難がありましたが、
ひよし塾の先生方の支え、
自習室等の充実した
学習環境なくしては、
このような最高の結果で
終えることはできなかったと思います。

不器用な私たちに
最後まで寄り添っていただき、
本当にありがとうございました。

【玉田より】

前の塾から通して
3年間の受験勉強
本当にお疲れさまでした。

最後の1か月精神面で
急成長してくれたと思います。
記述問題に関して
おろそかにすることなく
自分で考えて書いた答えは
どんどん模範解答に近づき
当日も空欄さえなければ
得点が取れる状況まで
仕上がりました。

最後のご相談の時は
こちらも具体的な数字を挙げて
十分合格できる力があると
お伝えできましたこと
ひとえにお子様が
取り組んだ過程と結果だと
思います。

またいろいろな出来事が
あったと思いますが
テストなどで結果が出ない中でも
塾にご相談いただきましたこと
また個別にお子様とお話
させていただく機会を
いただけましたこと
感謝しております。

親にとって最大のサポートは
志望校を自分で選べるように
さまざまな学校を提示すること
そして本人が真剣に取り組むまで
待ち続けることだと思います。

待つことは
本当に難しいことですね。
種をまき、水をやり
芽が出るまで待つ
その後は日に日に成長を
喜ぶということが
植物を育てるときに
経験できますが
親の立場で
我が子の学習意欲や
テストの得点などを
見ているとついつい
干渉してしまうことに
なります。

本当に結果が出るまで
保護者様には我慢して
いただきましたこと
最後まで努力し続けた
お子様に
感謝しております。

親子で勝ち取った志望校
充実した6年を過ごし
6年後に素晴らしい進路を
切り拓いていただけますと幸いです。

ご通塾いただき
ありがとうございました。

ご家族のご健康とご多幸をお祈りいたします。

玉田